冲方サミットメンバーブログ

講談社 小見山
「ノー」を言わない原作者と、「イエス」を言わない漫画家。

皆さまこんばんは。別冊少年マガジンの小見山です。
漫画版『マルドゥック・スクランブル』最終7巻は、絶賛できたて発売中です!
さて今日は、僕が見てきた、冲方先生と大今先生の「スゴイ」ところを、それぞれ書いてみようと思います。しばし、駄文にお付き合いくださいませ。

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さて、言わずもがな、お2人は「スゴイ」なんてもんじゃぁないトップクリエイターですが、「小説をコミカライズする」という作業は、どんな一流のクリエイターをもってしても、ものすごく、ものすごく大変な作業なのです。

それは、「原作者」と「漫画家」という役割の難しさによるものだと僕は思っています。得てして原作者は、自分の作り上げた完成形を誰かに委ねることに不安を、漫画家は、誰かの作り上げた完成形を自分の手で作り変えることに不安を感じているものです。ところが、冲方先生と大今先生は、そんな不安をものともしません(と、少なくとも僕には見えます)。

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原作者・冲方先生のスゴイところは、なかなか「ノー」を言わないことです。
原作小説と漫画版を読み比べていただくと、きっと、漫画版オリジナルエピソードの多さに驚かれると思います。中でも、「オクタヴィアの死」をめぐる演出は、雑誌掲載時に大きな反響があったシーンです。大今先生がこの原稿を描く直前、冲方先生と2人で、ずっとオクタヴィアについて話しこんでいた姿を僕は忘れられません。こういった改変を嫌がられる原作者は多いものですが、冲方先生は「どれだけ変えてくれるか楽しみです!」と言ってのけ、毎月毎月「面白いですね!僕も負けませんよ!」と大今先生にエールを送り続けるのです。こんな懐の深い原作者は、ハッキリ言って見たことありません。

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対して、漫画家・大今先生のスゴイところは、なかなか「イエス」を言わないことです。
大今先生は、自分自身に対して恐ろしく厳しい。大今先生のアイデアに対して、僕が「面白いですね!」と言ったって、翌日には、大今先生自身がボツにしてしまいます。何度も原作を読み返し、シーンや台詞に込めた冲方先生の思いを読み解きながら、面白さを凝縮して抽出し、時には新しいアイデアを付け足して、何度も何度もネームを書き直すのです。漫画は、コマを割り、台詞を最小限に減らし、毎月「ヒキ」を作る必要があります。小説を漫画に変換する作業は、それだけで気が遠くなるほど大変なのに、そこに新たなアイデアを足そうとする大今先生の貪欲さ、決して妥協しない姿勢には頭が下がります。こんなタフな漫画家は、ハッキリ言って見たことありません。

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漫画版『マルドゥック・スクランブル』を、「ただのコミカライズじゃない」と褒めてくださる方がいます。それは、なかなか「ノー」を言わない原作者と、なかなか「イエス」を言わない漫画家が、とことんまで「面白さ」にこだわったからなのです。

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編集者として、こんなに語りがいのある作品、自信を持ってオススメできる作品を担当できたことは、一生の宝です。

読者の皆さまにとっても、この漫画が、何度も何度も読み返したくなる一生の宝になってくれればと思います。

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・・・なんて、ちょっと臭すぎるブログを書いてしまいました。来週は、僕の「おすすめシーンベスト5」を発表しようと思います。

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